たまたま見てたテレビで「動物にも言語がある」という研究をしている学者さんを紹介していた。 なんでも、365日24時間ひたすらシジュウカラを観察したりするという。 「シジュウカラが互いに言語のようなもので対応している」とか 「これはお先にどうぞ、のジェスチャーで… ほら! もう1羽が反応してるでしょ!」とか 熱く語っておられた。 (記憶なので単語は違ってるけど) もちろん「イグノーベル賞」狙いとかではなく、大真面目に、だ。 学者さん、って一途なのよね。 ファーブルも何時間も「ミツハチのダンス」を観察して、ハチの行動を分析していたっけ。 子供の頃それを聞いて、「ファーブル、ヒマなの?!」って言ったっけな。 それはおいといて。 もし本当に動物に言語があったら。 そしてそれが解明されたら。 いいなあ、と思ったけど でも怖い、とも思った。 だって、うちの猫がしゃべれたら… あの瞳で見つめられて、 「実はあんたのコトきらいなんだよね」なんて言われたら! 猫同士で 「ごはんは好きだけど、人間はね」 「うん、そうでもないね」 「本当は外で暮らしたいんだ。 家の中で閉じ込められるなんて地獄」 なんて言われたらどうしよう? ええ? そうなの?? そうだったの?! 犬は 「大好き!人間が大好き!」って言うかもしれないけど猫ときたら…ねえ。 猿だったら、 「ポテチとかマジで美味いゼ、どんぐりなんて食ってらんねえよ」 「おれはスイーツだな… 柿もいいけどシュークリームなんて最高だぜ」 「俺ら、その気になれば箸使って食えるけどな…」 「おう、温泉もいいゼ…」 「あったまるよな」とか。 「本当は人間はきらいなんだ」 最近ニュースでよくでてくる熊は… 笑えない。 深刻だね。 絵本やぬいぐるみの熊はおっとり愛らしいキャラになっているけど本当は、ね。 本当は、彼ら怒り心頭かもしれない。 「人間なんて大嫌いだ」 「山を変えたのは誰だよ?」 「自然は人間だけのモノか?」 「その気になれば俺たち熊は生態系の最上位に居るんだ… ガチで来いよ、シロビレ(銃)なんか持たずによ? 素手で1対1で来てみろ、てんだ」 「おまえたちなんか張り手一発で顎も目玉も吹っ飛ぶんだぜ…」 ちなみに「シロビレ」は、矢口高雄先生のマダギ列伝より。 好きだったなー。 熊とか虎やライオンとかの猛獣は目が小さく、白目がほとんどない(見えない)。 小さい真っ黒い目…怖い。 どこ向いているのかわからない… でも怖い。 そうそう、こないだ何十年かぶりに映画「ジョーズ」見てたらサメの目もそうなんだって。 「真っ黒い、死人みたいな目と対峙したら…」 恐ろしさですくむしかない、と。 象も強そうだし… しかも賢いらしい…。 あ、鳥も、集団で来られたら…。 ヒッチコックの映画みたく。 怖かったなあ…。 獣がしゃべる時。 何て言われてしまうんだろう。 「人間はきらいだ」 「地球に何てコトをするんだ」 ………。 手塚治虫の「W3」みたいに「地球の人間が邪悪なら滅ぼす」決断を下されてしまうかもしれない…。 人間の一人としては「ごめんなさい、ごめんなさい」と平謝りするしかないかな。 でも私は悪くないんですよ、悪いのはジジイ達で、私は許してください、と見苦しく命ごいをしよう… そしたら熊の大将が、 「ふん、おまえなんか無力だからどうでもいい」と言ってくれるかもしれない。苦笑。 「生かしてやるからバナナ1万本もってこい」 「俺にははちみつだ。純正のな」 「へい、喜んでっ」てなもんで許してもらおう… ばかたれ。 地球はどうなってしまうのか…。 森林伐採も大気汚染も温暖化も… 何もできずにすみません。 でも私だけが悪いんじゃ…←まだ言ってる。 やっぱり動物の言葉はわからない方が…。
夏子
「最後のアゲハ通信」
いやってほど長かった猛暑から一転、いきなり寒くなっちゃった。 秋はどこへ行った…苦笑。 秋アゲハは先日「秋組大集団」の最後のアオムシがようやく蛹化し、一段落。 今はロスタイム組の黒イモの4匹が季節を惜しむかのように生育している… 急げ! でも秋アゲハは夏組と比べてややゆっくりなのよね。 夏組のあの嵐のような飼育ラッシュが懐かしい… 毎日のように蛹化や脱皮、さらに羽化のイベントが繰り広げられ…。 今年もなんだかんだで80匹くらい放すことができた。 ごくわずか、途中で死んじゃったコもいたけど寄生もなく、多くのアゲハが世田谷の空高く飛んで行ったものだ。 いつもいつも、新鮮な感動を与えてもらったなあ…。 「元気でねー、しっかり飛ぶんだよー…」と小学生のように手を振って見送ったんだよ。 いつもならお餌の葉っぱの調達に苦労するところだけど、今年はなんと、ルートを確保したのだ。 すぐ近所に見事な地植えのレモンの木があってね。 いつもそこを通るたびに同じくアゲハの飼育をしているスタッフのKさんと、 「きれいな柑橘の葉っぱだね、美味しそう(笑)だね… うちのイモたちに食べさせてやれたら…」と見上げていた。 今年は思い切ってそこのおばちゃんに声をかけ、顔をつないでおいたのよ。 数年前にスタッフのAちゃんが私のコトを漫画家だ、と話していてくれてたのね。 (Aちゃんは残念ながら亡くなってしまったんだけど…) そのおかげもあって、私は好感を持たれていたようで。 「柑橘の葉を欲しがる怪しげな女」とかではなくてよかった。笑。 だからそのおばちゃんともすぐきさくに話ができてね。 「すばらしいレモンの木ですねー、私アゲハの飼育を趣味でやっていてー…」 とか話をもっていき、 時々剪定をしていて枝をばっさり切っていますよね、 それを見るたび「葉っぱ欲しかったー」とつぶやいていたんですよーとか。 で、よろしければ葉っぱ少しください、と頼んだのよ。 おばちゃん、 「いつでも持って行っていいよー」と言ってくれて。 「ほんとですか?!うれしいー!!」って流れに。 (何気なく、殺虫剤とかは使っていないことも確認した) で、何度か自分で高枝切りばさみ持って行って、豊かな柑橘の葉をいくらでも調達できたんだわ。 いくらでも、だよ! ホントに夢みたいだったよ。 まるでヘンゼルとグレーテルのお菓子の家を手に入れたみたいな。笑。 毎年、秋になるとうちの屋上のキンカンもレモンも葉っぱが枯渇してね。 秋アゲハの幼虫を全部は飼育できなかったり調整に苦心したり…。 アゲハ飼育の後輩のスケキヨさんも夜中に公園のミカンの木から拝借したり。 スタッフのKさんはネットで「アゲハの餌の葉っぱ」を注文した、と聞いて、私も去年何度か買ったっけ。 結構高かったな… 木の葉っぱが何千円もして。 しかもあまりきれいじゃなくて エカキムシの跡があったり…。 でも今年いただいたレモンの葉は比べ物にならないくらい柔らかくて美しくて、豊かで。 思わずスケキヨとKさんに 「上物(じょうもの)手に入ったゼ! こいつはまさに“ユキネタ”って奴だ!」って メールして分けてあげたりしたんだよ。 (ちなみにユキネタ、とは最高純度の覚せい剤?の隠語らしい…笑) 「何か怪しげな取引みたいですね!」と冗談を言って…。 たっぷり分けてもまだまだ、いくらでもあるんだから。 おばちゃんに大感謝だよ。 本当に夢みたいだよ。 調子にのって4,5回いただいたかな。 その都度御礼にミカンとかりんごとかを置いてったのよ。笑。 おばちゃん、 「そんなことしなくていいよ!」と言ってくれたんだけど 「これ、ネットじゃ何千円もするんですよ!」と。 お金だと返って失礼かなって。 実際にとてもとても助かったんだし。 食欲MAXのアオムシがいくら食べても全然大丈夫だったんだから。 余るくらい…。 去年なんかはヒヤヒヤして「早く蛹化してくれ!葉っぱが足りないんだ!」ってあせったもんだ…苦笑。 本当に今年の飼育は、格別だった。 自然の若葉とはなんて美しい緑色なんだろう、かくも瑞々しく鮮やかな色彩よ…とあらためて感動しました。 ありがとう、ありがとう。
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「絵描きの仁義」
高校生の頃、美大受験のためのデッサンを習いに行っていた。 そこでは「写真から絵を描いちゃいけない」と教わった。 デッサンをする時は必ず実物のモチーフを見て描くこと。 石膏像だったり静物(りんごとかコップとか)だったり。 必ず、目の前にある実物を、よく見て描け、と。 その時は「そういうものなのだ」と先生からの教えをありがたく享受した。 なぜだろう? なんで写真を見て描いちゃいけないのか? 振り返って考察してみると。 写真というのは当たり前だが「二次元」である。 モチーフ自体は「三次元」、写真に撮った瞬間に次元が違ってくる。 デッサンは紙=二次元なので、自分の目でとらえたモチーフを、自分の力で二次元に置き換える… それが「絵」というもので、その力を養うのがデッサン練習というものだ。 絵が上手くなりたいならば…と。 (ちなみに、デッサンとはフランス語で「絵」のこと) たとえばカメラで、トイレットペーパーを真正面から撮れば写真の中では輪郭は四角… それは白いはがきに見えるかもしれない。 積み木かもしれない。 「立体」=3次元であることを意識しようとしなければただの「白い四角」だ。 輪郭だけをトレスすれば、そういうコトになる。 立体であることを意識しなくなる… だから写真から絵を描いてはいけない。 目の前にモチーフがあれば、トイレットペーパーはどの角度から見てもトイレットペーパーなのは誰だってわかる。 はがきや積み木にはならない。 でも写真だと、小さかったり、映りが悪い時ははがきに見えるかもしれない…。 まして、輪郭だけをなぞったら(トレス)、トイレットペーパーはトイレットペーパーにならないかもしれない。 デッサンというのは、その「白い四角」をトイレットペーパーなのか「はがき」なのか「積み木」なのか?はたまた「お豆腐」なのか?を描き分ける練習、トレーニングだ。 立体感と質感を表現する、それがデッサンの基本…というか全てだ。 色だって微妙に違う。 はがきの白と豆腐の白はちがう。 それを白黒の二次元で描き分けるのが「デッサン力」というものだ。 三次元のモチーフを二次元に置き換えて、鉛筆1本でトイレットペーパーをトイレットペーパーに見えるように描けるか?ちゃんと紙に見えるか、あの柔らかさ、微妙なぼこぼこ感は表現できているか? 段ボールやプラスチックになってないか? 気持ちよくお尻が拭けそうか?…笑。 そういう訓練がデッサン練習ということだ、と教わった。 先生はひたすら「丸いものが丸くかけているか?正方形はちゃんと正方形か?長方形になっていないか?」と何度も何度も繰り返しておっしゃっていた。 それくらい描けるさ、とみんな甘く見たもんだがいざ描いてみると微妙に描けていない… 正方形は一辺の長さが同じなはずだか同じに見えない、遠近が正しく捉えられていない…。 定規を使えば? NO、NO! 定規もご法度。 ありえない。 自分の手だけで描くのがデッサンだ。 彫像デッサンも同じことで、まったく同じ顔を描くコト。 正しい線は1本だけ。 その正しい1本を探すために来る日も来る日も何千何万の線を引き、正しい一本の線が自分はひけているか?自問自答を繰り返すんだ。 まれに、一発でその正しい一本が描ける人もいますがね。 天才、っていうやつね。 そうして、少しでも正しいモチーフの「形」「質感」を描けるようにトレーニングしたものだ…。 ちなみに、デッサンというのは作品を仕上げるための「練習」なのでそれ自体は厳密には作品じゃない。 あくまで練習、トレーニングだから本番の「試合」とは違う。 だから先生はよく「よけいな意味は持たせなくていい、そのままを写し取るのがデッサン」とも言っていた。 無心に、ひたすら、黙々と描く… 何時間も…。 そういう訓練が漫画家になってからどれほど役に立ったか。 (描きたいと思う絵がイメージ通りに、割と速く描けるようになるのよね) 漫画家になってからは資料として写真は必要だった。 ポーズにしても背景にしても、服装にしてもできるだけイメージに合う資料写真があればよりよい絵が描ける。 ただし、「参考資料」としてだ。 まんが寺子屋の子供たちにもよく言ってるけど、 「わからないモノは見て描こうよ」って。 ただし「トレス」は別よ。 そりゃトレスの方がうまく見えるかもしれないよ。 でもそれに慣れちゃうと、 トレスなしじゃ描けなくなっちゃうよ、とも言っている。 江口寿史先生の絵、写真見て描いているのはすぐわかる。 上手いなー、カッコいいなーと思っていたのに、でもまさかトレスだとは思わなかった。 「資料写真」「参考写真」としてだと。 トレスは違うでしょ! トレスは…トレスで「写真まんま」は…何というか、 …カッコ悪いね。
PS. ちなみに、同じコトをやっているAIはセーフなのか? 海外では訴訟も起きてるらしいけど、結審はまだ聞いていない。
「東急田園都市線トラブル」
電車が止まってる、って朝(月曜)のニュースで聞いてびっくりした。 よりによって今日用事が。 そんなに頻繁に乗ることもないのになんでまた… てなもんで。 出かけるにもまず田園都市線なのでそれが乗れないとなるとえらいこっちゃ、だわ。苦笑。 渋谷から山手線で目黒方面、の用事だったのでさてどうしたものか。 予定より早めに家を出る… タクシーに乗れたらいいんだけどまずつかまらないだろう。 流しのタクシーは普段からなかなか難しいし、最近はみんなスマホアプリで呼び出されちゃってるから「迎車」ばかり。 バスしかないか… 混むだろうなあ。 と思ったら停留所やっぱり混んでいる… 30人くらい。 後でスタッフに聞いた話では「キャロットタワー前のバス停はすごーく長い行列でしたよ」と言ってたから私が向かった一つ渋谷寄りの停留所は少しましだったのかな。 朝のラッシュ時でもなかったし。 20〜30人くらいの最後尾に並ぶ。 乗れるのかなあ…? 後ろのおばちゃんと(自分もか…苦笑) 「バス来てるのかしらね」 「臨時便出してくれてるみたいだけど」とかおしゃべりを。 若い人達はひたすらスマホをいじる… 情報収集か…。 バスが来た…が、すでに満員近いので5、6人くらいしか乗れなかった… 次のバスが来ても同じようなもんだろう…。 「私歩くわ」と後ろのおばちゃんに言って列を離れる。 渋谷まで歩いて40分くらい。前にコロナ禍の時歩いたコトがある… 楽じゃないけど歩けない距離でもない…。 だいたいバスに乗れたとして、普段より交通量が多い。 (友人の車を頼もうか、ともチラッと思ったけど) タクシーも増えてるし渋滞も起きてるから待っていても40分くらいは、もしかしたらもっと かかってイライラするかもしれない。 もう歩いちゃった方がいいや。 腹をくくろう。 246号線渋谷方面へ歩き出す。 歩いている人もそこそこいる。 次の停留所に着く… おや、行列は10人程度。 少ないなあ… 並ぼうか、と思ったらちょうどバスが来た。 乗れるかな? 満員状態ではあったけど、ドアを開けてくれた。 しかも後ろの降車ドアも開いたのよ。 並んでる順のはずが、なぜだか乗ろうとしない人もいたので列の最後尾の自分が先に乗ってしまった。 混んではいたが、乗れないほどでもない。 いにしえの満員電車に比べたら全然余裕。 後ろ向きで乗らせていただいた。 ラッキー!乗れちゃった。 結局料金(パスモ)は払えなかったけどまあいいや。苦笑。 渋滞だけどとりあえず流れてる…。 普段だって渋滞だから大して変わらないかな。 次の停留所では、やはり少人数しか並んでいない… 降りる人もほとんどいないのでドアが開いたり、開かなかったり。 渋谷方面の舗道は若い人たちは歩いている…。 三宿あたりから一駅くらいなら歩いちゃった方がいい… 自転車やバイクがさっそうと走っていく…。 私は終点の渋谷の一つ手前の道玄坂で降りる。 多分渋谷駅前やバスのローターリーはなんだかんだでのろのろになるのでもう道玄坂なら歩いちゃった方が多分早い、と予測して。 後で乗っていたバスを確認したら、多分5分くらい早かった程度だったけど。 なんとなく気持ちはよかったかな。 ささいな決断が割と当たったし。 山手線から後は問題なく、帰りも同じコースだったが行きよりもサクサク帰れた。 不思議だったのは、誰も怒る人は居なかったコト。 まあ、ラッシュ時ではなかったせいかもしれないけど若い人もおじさんもおばさんも、みんなおとなしく待ったり、駅員さんの指示にしたがっていた。 外国人はひたすらポカンとしてた。苦笑。 ちょっと「へえ」って思った。 私も、時間の余裕を持って家を出たのでさほどイライラすることもなく。 とにかく待って、行くしかないからね。 日本人、ちょっとすごいなあと感心したワ。 三茶にもどるとテレビカメラが来てた。 夜のニュースでもかなり時間を割いてたようだ。 「鷺沼」「梶が谷」「三軒茶屋」… 知ってる町がテレビに映ると懐かしいような恥ずかしいような。 なんだ、あそこじゃんよ、知ってるよー… 私映ってないかな?なんて。笑。 とりあえず、怪我人がいなくてよかった。 そのせいか、住人はのんき、というか普段通りというか。 中継するキャスターの人がやや大げさに見えたなあ。 災害とか防災とか、世界平和とか、意識を高めるのはいいことだけど、それにはまず「足腰」だ!と再認識した。 いざという時2,3時間歩けなくてどうする…。 自分の身を守り、誰かの力になりたいならまずは足腰を鍛えておくことだ。 それと歩きやすい靴、ね。うむ。 できることをしたいものだ。
PS. 幸い日本ではほぼ関係ないけど「爆発」が起きた時はまず 「耳をふさげ!」だそうだ。 耳が不調だとその後の行動に支障が大きい、とのこと。